50代で家を買い替えた話

50代になって夫とは別の人生を歩みたくなり自宅を買い替えて新しい生活をスタートさせるまでの顛末記

訪問査定②

L不動産のMさんが訪問してから数日後に査定の結果が郵送されました。

 

以前机上査定してもらったときは3100万~3400万の価格で、査定が3000万弱だった他社よりも高めだった。専有面積は100㎡超と広いけど、郊外で最寄駅からも遠い立地、新築から20年を超えている。だから3000万を切るのは仕方ないと思っていた。

 

で、今回の訪問で査定された価格は3300万。

市場価格は2700万~3100万で、売り出し推奨価格は3400万。

 

査定の中身を見ていたら、L不動産ではうちが1階であることを高めに評価していた。

 

通常マンションは上の階のほうが分譲価格も高く、1階より好まれるのではないかと思う。しかしうちのマンションは高台に建っているので1階でも見晴らしがよく、人の目も気にならない。そこを評価してあるのでちょっと驚いた。だから机上査定でも高めだったのかと思った。

 

コメントには「専有面積が100㎡超と広めであり、階下への音の心配が無いことからファミリー層の需要が見込まれます」と書いてある。ただし室内の状況からフルリフォームの必要があるので、価格への影響が出ると思う、売却を急がないなら高めの価格(3400万くらい)で設定して状況を見ながら金額の見直しを行ってはどうでしょうか、と。

 

もしかしてこの業者さんは我が家のセールスポイントを的確に把握して売ってくれるかもしれない。そんな気持ちになりました。

 

訪問査定は複数の業者さんにお願いしようかと思っていたけど、どうしよう。

 

夫に資料を見せて話をしたところ、「L不動産でいいんじゃない?また別の業者に訪問査定してもらうのは正直負担だし、大幅に査定が変わるわけじゃないでしょう」と消極的。

 

ま、夫は自宅を売却しなくても実家が空き家になっているので新居を購入する必要がなく、無理に売却しなくてもいい立場。今回は私が言い出したこと(自宅を売却して代金を分けて別々になりたい!)を追認した形なので、基本的に自分はあまり関わりたくないし、何があっても責任を負いたくないという気持ちがあるみたい。「あなたの好きなようにどうぞご自由に」という姿勢なのだ。

 

要はまた訪問査定の準備をするのが面倒くさいようです。

 

Mさんの丁寧で真面目そうな雰囲気にも好感を持ったし、お願いしてもよいかな…と思いました。上手くいかなかったら別の業者に変えてもいいんだからさ。

 

1週間くらい経った頃、Mさんからメールが来ました。

 

査定書はお手元に届きましたか?

その中にも記載しましたが、具体的な計画が確定していないのなら長期的な目線で売り出すことをお勧めします。

過去のお客様では、相場より少し高めの金額で売り出して売れた場合は引き渡し猶予を付けてその間に転居先を探した方もいます。

また、思ったより早く売れて一旦賃貸に移住された方もいます。

しかし通常は高めで売り出すとすぐに成約にならない場合が多いので、転居先をじっくり探しながら並行して売却を進めていく方が大半です。

是非ご家族でご検討ください。

 

ざっくりまとめるとこんな感じの内容です。

 

納得できたので、こちらも長期的に考えて提案された価格で売却に出すことにしたと返信しました。

 

すると、仲介の契約を結びに家へ来るとのこと。

 

契約には下記の3種類あり、メールには説明が書かれてありました。査定と一緒に送られたパンフレットにも説明が載っていたので両方読んで咀嚼。

 

①一般媒介契約

複数の業者に仲介を依頼することが可能。そのため窓口は一本にはならず本人になるので複数の業者から連絡が来ることになり、本人の負担は大きい。また、L不動産では一般媒介であっても専任媒介と同じ営業活動は行うが、一般的にはあまり費用をかけない告知のみを行うことが多い。(要は手抜きってこと?)

②専任媒介契約

1社のみに絞って仲介を依頼するのでその会社が窓口になるが、本人が買い手を見つけて契約することは可能。

③専属専任媒介契約

②の契約と似ているが、必ずL社が仲介することになるので、本人が買い手を見つけてきても勝手に契約できない。

 

売り出されている物件の8割は②または③を利用している。①のように複数社から出していると売れていない物件のイメージが出る可能性もある。

②③ならば毎週営業報告をするし、売れたときは売主の保証責任を負担するサービス(一定要件あり)もある。①は営業報告の義務はない。

 

などなど。

 

多分②か③で契約したいんだろうな~。

 

「とりあえず②にしとけばいいか」と夫と話し、日程調整をしてMさんに来ていただくことにしました。

 

そしてMさんがやってきたのは、令和2年の6月上旬のことでした。